カムイたちの黄昏その2
琉の島では、冬は西から絶え間なく風が吹く。
波頭はサンゴ礁を超えて、激しく白い星砂の浜辺へと打ち寄せてくる。
太陽(ティダ)と月(チチ、トートーメ)が支配する天空がちょうど半分ずつになった日を境に、島は「うりずん(陽春)」と呼ばれる季節を迎える。
春が来るのだ
それは、風が吹き返す季節でもある。
“クチヌカジ(東風:こち)”と呼ばれる風を男具那待っていた。
男具那は毎日浜辺にでて、風を測った。
(“この風なら、黒い潮の流れに乗って北へと向かえる”)
(“もう何日かしたら、風をつかまえられる”)
「ねぇ、いくの?」
振り返ると、世話になっている邑の親方ヒヌカン(火の神)の一人娘伽那志がいつの間にかクバの木の傍にたたずんでいた。
長い濡れたような黒髪と憂いを含んだような大きな瞳の少女だ。
「うむ、そろそろだな。」
「私を連れて逃げて」
「・・・ついてくるか?」
一陣の風がまるで泣いているように、耳元を音を立てて通り過ぎた。
ヒヌカンの妻トートームには助けられた時、「お前を助けてやるけれど、娘の伽那志には心を向けないように」と言われていた。
島の男たちに比べ長身でクルクルと巻き髪を両総(りょうふさ)にした、男具那は明らかに異国の人であった。
初め、遠巻きにしていた子供たちもが、1歩1歩と物珍しさも手伝い近づいていき親しくなっていった。
子供たちの次は、女たちであった。
伽那志と初めて言葉を交わしたのは、モーアシビーの夜だった。
創世の書「男具那と伽那志の物語」
ーモーアシビーの夜ー(毛とは野原の事、アシビ―とは歌垣“うたがき”のようなもの)
男具那の体力が回復するにつれて、彼の周りには笑い声や歓声が絶えなくなった。
嵐が過ぎ去った朝、波に打ち上げられた男具那を介抱したのは、邑の親方(長“おさ”)のヒヌカンであった。
この邑には、古くからの言い伝えがあった。
ある日、海のかなたニライカナイから皇子の一人がやって来る。
(ニライカナイ:祖霊が守護神へと生まれ変わる場所、つまり祖霊神が生まれる場所であり民俗学者柳田國男は、ニライカナイを日本神話の根の国と同一のものとしている。)
その皇子は、1本の剣(つるぎ)と携えている袋の中に赤い碗や種、火を作る石、マータン(勾玉)と言われる石の首飾りを持っている。
それらすべては、ティダ(太陽神)が民に遣わしたものであり大いに重畳(大変喜ばしい)なことであるが、同じように大災厄も招く双御霊(ふたみたま)の悪皇子が来ることもあると・・・。
そしてその皇子に選ばれし娘は、その命と引き換えに皇子の“天駈け”を手助けすることになるという言い伝えであった。
ヒヌカンの始祖は、琉の島に初めて降り立ったアマミキョ(女神)とシネリキョ(男神)が土の中から造りだした最初の島人の一人と言われていた。
言い伝え通りの若者が、剣を携え息絶え絶えに目の前にいた。
ヒヌカンの背後から彼の肩に手を当てて覗き込んでいた妻のトートームは、夫の耳元でささやいた。
「このまま、この若者を海に流しましょうよ。これは言い伝えのニライからの皇子ではなく、きっと私たちに禍(わざわい)を招く悪皇子よ!」
「助けたら大災厄が降りかかり、私たちの村は大変なことになるわ。」
ヒヌカンは暫くの間、目を閉じた。
そして、自分の中の奥深くの思考の泉に静かに身を沈めていった。
彼にとって神とは、彼の血の中に蓄えられた先祖の記憶なのである。
無の中に・・・、無音の中に・・・無になった意識が沈んでいく。
やがて閉じた瞼(まぶた)の先に、紫や赤の雲のようなものが遠く近く渦巻き始めると突然視界が拓けた。
光り輝くものが彼を見据え、音もなく声を発する。
音もなく・・・・「助けよ」と。
彼には、確かにそう聴こえた。
ヒヌカンは、妻の言葉に応えることなく若者を彼等の住まいの苫屋(とまや)へと背負って行った。
ヒヌカンがぼそりと妻のトートームに言った。
「この若者が出ていくまで、娘の伽那志を山向こうのお前の里にあずけておけ。」
トートームの母性が直感の警笛をチリリと鳴らしていた。
「伽那志、しばらくの間、私の母親のクスマヤーおばぁ(くそ猫ばぁさん)の面倒を見ておくれよ」
伽那志は、突然母のトートームに言われ山向こうのウンナの集落へと向かわせられたのだった。
その若者男具那が家へ担ぎ込まれたときであった。
伽那志が首からさげていた「タカラガイ」の首飾りが、その身を震わせたのだ。
同時に伽那志の心がわけもなく震え、とてつもない不安のような気持ちが彼女を包んだ。
“(海から来たあの若者はどんな人なんだろう?)”
伽那志にとって、産まれたときに握りしめて出てきたタカラガイが打ち震えたという経験は初めてのであった。
何か、身を裂かれるような想いがよぎったがカジマヤー(風車の歳97歳:)間近い祖母のクスマヤーの世話にと若者の姿を遠巻きに見ながら家を後にしたのであった。
男具那は、順調に回復した。
偉丈夫の男具那を、女たちが見逃すはずがない。
男女が集い、掛け合いの歌を詠みながら互いの気持ちを確かめあう”モーアシビー”が近付いていた。
ヒヌカンとトートームは”モーアシビー”に行くことをタケルに勧めた。
(・・・伽那志には絶対逢わすまいと・・・。)
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