瑞穂の国へ
豊葦原の千五百秋の瑞穂の国(とよあしはら‐の‐ちいおあきのみずほのくに)有り。宜しく汝(いまし)が往ひて脩(しら)すべし」〈神代紀・上〉。
日本書紀の神様のお話の項?
葦が生い茂り、永遠に穀物が豊かにみのる国のであり日本国の美称として使われる言葉です。
福島県での企画展が終わり、搬出に行ってきました。
梅雨明け間近の会津盆地は一面の緑のじゅうたんに覆われ穂を出す前の稲の葉が、渡る風にそよいでいました。
越後平野は、その光景が見渡す限り続くのです。
これほど、単一的で圧倒的なものに対抗するものはどこまでも続く青空と海、夜空の星しか思い浮かびません。
しかし、この緑はすべて人がなせるワザだということが違います。
そして、それは自然と言うものと調和することにより成り立つのだと気づきました。
車窓から、「瑞穂の国」という言葉を思い浮かべながら心に入ってくる「風景」として眺めながら、気づきの後は「風景」は「光景」へと変化していきました。
どうかんがえても、有害なものを造りだし尚且つその処理方法が解決されていない原子力による発電は「瑞穂の国」に似合いません。
「瑞穂」を捨てて代わりに手に入るものを考えたのですが・・・・。
それが「幸せ」といえるものなのか?
「しあわせ」は個人其々の心が決めるもの。
与えられるものではないと思うのですが・・・・。
7月5日に搬入でフクシマへ向かうときには、合歓の花が北上中でした。
7月26日に、搬出を終え西へ向かう道中では、盛りの磐越道から盛りを過ぎた北陸道へと季節が変わりゆくことを感じながら車を走らせました。
この国は、いまでもアジアモンスーンの「瑞穂の国」なのです。
柏崎の原発の異様な送電線は、遠く首都圏へ送られる電力の道です。
本当に安全なら、東京湾に作ったらいいのに。
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